「暮らすように旅したい!」 旅のあれこれ ariruariru

勤め人ですが心は旅人。ヨーロッパ中毒気味。「言葉」が大好き。

ハンガリー&チェコ旅「中欧をめぐる旅!プラハで王の道を歩く!カレル橋とヴルタヴァ川の流れ」

2011年8月

この夏は、ハンガリーブダペストから

チェコプラハへ電車で移動する旅。

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この日はプラハの街歩きへ。

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目次

 

王の道を歩いて

 プラハは本当に美しい街だ。

旧市庁舎からの眺めを楽しんだ後は、

カレル通りを歩く。

カレル通りとは、旧市街広場からカレル橋まで続く、

曲がりくねった道で、「王の道」の一部を成している。

「王の道」とは、14世紀半ばに神聖ローマ帝国

皇帝となったカレル4世が、王の戴冠パレードを

行った道のことだ。

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この細い通りがカレル通り。

右の建物はクレメンティヌム。元修道院だ。

現在は図書館や教会となっている建物。

通りに面してマリオネット劇場がある。

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本日の演目は「ドン・ジョバンニ」。

チェコではマリオネット(人形劇)がさかんだ。

私もこの劇場ではないが、

この旅でマリオネットを観に行った。

お土産物屋さんには、必ず操り人形が置いてある。

 

チェコの人形劇がさかんになったのは古い時代だが、

チェコは18~19世紀にハプスブルグ家の支配を受けていたため、

その間、チェコ語の使用は禁じられていた。

生活はドイツ語で過ごしていたその時代、

チェコ語をなんとか残したのは人形劇だったとか。

言葉を守ることは、その民族のアイデンティティを守ること。

チェコの人が人形劇を愛する理由は、

単なる伝統ではなく、生きる上で必要不可欠なもの

だったからかもしれない。

 

いよいよカレル橋へ

なんてことを考えながら歩くと、もう目の前が開けてくる。

カレル橋の塔だ。

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ものすごい人だかりが信号の向かいに。

ちょっと圧倒される。

橋塔をくぐってカレル橋へ。

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橋のたもとに建つと、対岸の高台の上にプラハ城が見える。

カレル橋とは、ヴルタヴァ川に架かるプラハ最古の橋。

カレル4世の時代に建設された、全長500mを超える橋。

 

カレル4世の時代、プラハ神聖ローマ帝国の首都だった。

さすがの迫力と美しさ。ローマ帝国はやっぱりすごい!

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カレル橋からお隣の橋(チェコ軍団橋)を眺めていると、

かわいらしい赤いトラムが橋を渡っている。

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カレル橋の欄干には左右15体、合わせて30体の聖人像があって、

それを順番に眺めているとあっという間に対岸だ。

橋を渡っていることを忘れてしまいそうになる。

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            (聖ウィンケンティウスと聖プロコプの像)

 

ヴルタヴァ川の流れに

このカレル橋が架かっているのがヴルタヴァ川。

ヴルタヴァ川とは、モルダウ川のことだ。

日本ではスメタナ作曲の「わが祖国」の中の一曲

モルダウの流れ」として知られているが、

モルダウはドイツ語。チェコ語ではヴルタヴァ川という。

ちょっとクラシック音楽をかじっていた旅の相方と私。

目の前のヴルタヴァ川にしばらく感動。

 

19世紀に生きたスメタナという作曲家は、

音楽活動を通して祖国の民族運動を応援した人物。

あの曲の、途切れのない流れはこの川の流れだったのかと

改めてカレル橋から川を眺めた。

カレル橋界隈のヴルタヴァ川は緩やかだが水量が多く、

脈々と堂々と流れている。

あのもの悲しいフレーズは、祖国の復活を願う気持ちと

侵略に負けないという反骨心を、

この流れに託したものだったんだ。

 

そう思うと、このキラキラした観光地も見え方が違ってくる。

チェコの美しさは、上塗りの美しさじゃないぞ。

これは中の中から光り輝いてる腰の据わった美しさ。

そして強さだと思った。

 

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