≒(ニアリーイコール)を楽しむ言葉の世界<その6>「言葉の面影にニヤニヤする。イタリアの柿の話【前編】」
冷静に、落ち着いて。
自分の心を鎮めながら、言葉のお話を書きます。
目次
言葉の由来に掻き立てられる想像力
言葉の由来は、さまざまな想像力を掻き立てるものだ。
学校の授業で習うような有名どころとしては、
ポルトガル語が由来と言われる
「カステラ」や「天ぷら」などもその例だ。
残念ながらどこからか意味が変化してしまっているので、
ポルトガルには「カステラ」というお菓子はないし、
「天ぷら」という食べ物もないけど、
それにまつわる言葉が存在している。
それだけで、親しみを持てることは間違いない。
面影や生き写しの言葉に遭遇したら
実際にポルトガルを旅したことがある。
ポルトガルにハマって、数年間の間に4度訪れた。
ポルトガル滞在中に、「言葉によってもたらされる
うれしい気分」に何度も遭遇した。
例えば、ポルトガル語で「コンフェイトゥ」と呼ばれるお菓子。
どこからどう見ても、その姿は「金平糖」にそっくり。
ちょっと日本の金平糖よりも大きいが、トゲトゲしている。
面影どころか生き写しのその姿を見た時、
何とも言えないうれしい気分に満たされる。
それは感動に近いものだったかもしれない。
リスボンの博物館に日本の「屏風」が飾られている。
展示作品名にポルトガル語で「biombo」という表記があり、
ポルトガル人がそれを「ビョンボゥ」と発音するのを聞いた時、
何とも言えないうれしい気分になった。
どうもニヤニヤしてしまう。
なんだろう、この感覚。
「言葉」は旅の大先輩だと思っている
(ハンガリーのブダペストを出発する列車。これで国境を越えた旅。2011年夏。)
「言葉」は、長い距離や長い時間をこえて旅をしてきたのだ。
異国で出会う言葉に、日本語の欠片を感じる時、
まるで旅の先輩の足跡に触れたような気分になる。
それよりも、同窓会で久しぶりに会った友人の感覚?
変わっていても、変わっていなくても、
それはそれで懐かしくもあり、どこか気恥しくもあり。
「言葉」の長い旅の間には、さまざまなことが起きただろう。
言葉の意味が変化したり、発音が変わったり、
そう考えると、それは当然のことだと受け入れられる。
ましてや、そんな長い旅をしてきたのに、
今でもなお、同じ意味や発音で、
離れた場所で生きている言葉に触れるからこそ
何とも言えないうれしい気分になるのだろう。
「よくぞ変わらないでここまできてくれました!」
というような、尊敬の念?いや、感慨に近いかな。
また詳しく別の機会に書いてみたいと思う。
日本の「柿」はイタリアの「カキ」
旅で言葉を学ぶ時、便利なのがスーパーや市場だ。
値段や商品名などの表記があれば、
それは単語帳が並んでいるようなもの。
(ハンガリーブダペストの市場で。ハンガリー語はとても難解……。2011年夏。)
(カナダのバンクーバーで。2018年夏。)
イタリア滞在時に市場で知った言葉、
イタリア語の「柿」のお話を。
私がもっとも旅で長い時間を過ごしているイタリア。
日本と同様、イタリアでも「柿」はポピュラーな果物だ。
イタリア語で「柿」を表す言葉は、
「cachi」と表記し、読み方はまさに「カキ」。
そう、イタリアの柿は日本の柿からきている。
(イタリア語では、「chi」を「キ」と読む。「ci」が「チ」になる。)
実は、日本語の「柿」という言葉が、
そのまま用いられその国の言葉になってるのは
イタリアだけではない。
フランス語では「kaki」、
発音も日本の「柿」にかなり近い。
先ほど、イタリア語の「柿」は「cachi」だと書いた。
しかし実は、「cachi」は複数形なのだ。
イタリア語の「柿」のお話、長くなりそうなので
本日はここまで。また次回、一週間後に書きます。
次回へつづく。
過去に書いた言葉のお話
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