「暮らすように旅したい!」 旅のあれこれ ariruariru

勤め人ですが心は旅人。ヨーロッパ中毒気味。「言葉」が大好き。

旅に出られない旅人はどうなってしまうのか<その2>「旅要素欠乏症の諸症状について」

前回の続きです。

「旅要素欠乏症」の諸症状について解説します。

(旅好きでお暇な方のみ、読んでください。ただの愚痴です。)

 

  前回の記事はこちら

     ↓

ariruariru.hatenablog.com

 

目次

症状①架空の旅の予定は立てられない

でも今年は旅の予定を立てることはない。

気を紛らわせるために、いつか行くかもしれない旅の計画を

立ててみようかとも考えてみた。

 

でも結局できない。

 

だって、架空の旅の計画を立てるためには、

「いつそこへ行くのか」という重要な情報が欠けているからだ。

 

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(2017年夏。オーストラリア・シドニーのオペラハウスにて。)

(現地は冬だからこそ、コンサートが楽しめる。夏はシーズンオフになってしまうから。)

 

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(2012年夏。スペインの特急列車のカフェ。暑いアンダルシアの夏は、列車移動は日中に。)

 

季節はいつなのか、気候はどんな時なのか、

その時期に現地でイベントはあるのか、

レストランの定休日はいつかなど、

「いつ」という情報抜きにして

旅の計画を立てることなんてできない。

 

ああでもないこうでもないと計画を組み立て、

ガイドブックやホームページを読み漁り、

過去にその場を訪れた旅人のブログを探したり、

ありとあらゆる情報をかき集め、

睡眠不足にまでなっていたいつものこの時期。

 

あぁ、その多幸感たるや。

今こそ存分に感じる。

 

切なくなって涙があふれてくる。ほぼ末期症状。

現実味のない旅の計画は、

私に虚しさを与え続けるだけだった。

 

症状②旅番組を見ることができない

いつもは楽しみにしている旅の番組も見るのをやめた。

今は旅に出られないのだから、そんな番組を見て、

まるで旅に行った気分になればいいじゃないかと言う人がいる。

 

でも、そんな気分には到底なれない。

なんなら、番組の中で旅をしているタレントがうらやましく思えて、

それがうらめしくなってしまい、

嫉妬のあまり怒りすら覚えてしまうからだ。

 

NHKの語学番組ですら、見るのがつらい。

イタリア語やフランス語の語学番組を録画してよく見ている。

今、うちのテレビのハードディスクの中には

未視聴の語学番組がどんどんたまっていっている状態だ。

時間のある今のうちに語学を学べばいいじゃないかと

これまた言う人がいる。

 

でも、どうやら私は、そんな目的でそれを

楽しみにしていたのではないようだ。

 

症状③旅の要素を拾い集める作業がつらい

私にとってそれらの番組を見ることは、

自分の旅の要素を拾い集める作業だったのだと気づいた。

自分の旅のヒントとなるものを常に探していたのだ。

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(2007年夏。イタリアのアルベロベッロ。テレビで紹介されていて、行きたくなった場所。)

だから、今、旅の要素を拾い集める作業に虚しさを感じるのだろう。

 

だって今は、その要素がどんなに増えようとも

現実には実現できないし、

それがいつのことになるのかの見通しも立たない。

計画を立てたいのに、立てられない状態だからだ。

 

 (長くなるのでまた続きは次回へ……)

 


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