旅に出られない旅人はどうなってしまうのか<その3>「旅に出られない旅人が見る夢の話」
前回の続きです。今日は<その3>です。
「旅に出られない旅人が見る夢の話」を書いてみます。
(旅好きでお暇な方のみ、読んでください。)
前回の記事はこちら
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目次
旅に出られない旅人に欠乏しているもの
自分の症状を、「旅要素欠乏症」と名付けてみたのだが、
どうやらこれも違っているかもしれないと思い始めている。
旅の要素を集めることに虚しさを感じ、
自分から拒否しているのだから。
(2012年夏。スペインのグラナダ。
夕刻に一人で歩いた小径で見た光景は、現実か夢か自信がなくなるほど美しかった。)
欠乏しているのは旅の要素ではなく、
ほかの「何か」なのか。
これはもしや複雑な症例なのか。
いや、旅人はみな陥っている症例なのか。
旅に出られない旅人が見る夢の話
(2010年夏。イタリアのフィレンツェ。ホームステイ先のキッチンの窓から朝を告げる光。)
この前、ある夢を見た。
私が、知らない小さな外国の街で、四苦八苦している夢だ。
どこの国の何という街かもわからない。
旅で訪れたこともない、見覚えのない街だ。
でもどうやら、夢の中の私は
その街にもうしばらく滞在している様子。
小さな商店が並ぶ通り、たぶんその街の中心地にいる。
商店の前には三角形の広場があって、
たくさんの街の人が集まっている。
(2012年夏。スペインのトレド。歩くと必ず広場に出る。広場の存在意義を再確認する。)
私はその街で、言葉が分からなくて四苦八苦している。
数段の階段をあがった上にある広場だ。
どうやら、その街のお祭りの日らしい。
大きな声で歌を歌う人がいる。
民族衣装のようなものを身に着けている人がいる。
私が立っている商店の前の通りには、
段ボールに入ったままの果物が並んでいた。
私は、その段ボールの前で、
大きな声のおばちゃんに腕をつかまれ、
段ボールに入ったメロンをすすめられているところ。
「一個あげるからもっていきなよ!」とでも言われているのか。
「安くしとくから買っていきなよ!」かもしれない。
しかし、私はおばちゃんの話す言葉が分からない。
もらっていいものかどうか困っている。
困ったなぁという顔をして、
一生懸命おばちゃんの言葉に耳を傾けるが
なんて言ってるんだろう、全然わからない。
(またまた長くなるので続きは次回……)