旅に出られない旅人はどうなってしまうのか<その4>「あのメロンはどこで見たメロン?旅要素欠乏症が見る夢」
前回の続きです。今日は<その4>です。
「旅に出られない旅人が見る夢の話」を書いてみます。
(旅好きでお暇な方のみ、読んでください。ただの愚痴です。)
前回の記事はこちら
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目次
旅で出くわすこんな場面から
この場面、現実の世界では出会ったことはない。
旅の思い出のワンシーンではないのだ。
知らない街に、知らない人たち、知らない光景。
でも、こんな感じの場面には、旅の道中でよく出会ってきた。
旅先で街を歩いていて偶然出会うローカルなお祭や、
突然話しかけてくる気さくなおばちゃん、
通りの前に広場があって、そこに人々が集まっている光景。
「なんて言ってるんだろう、全然わかんない。」
「だけど、きっとこうかな、たぶん。」
という場面。
今まで、30回ほどの海外の旅を経験してきた。
その中では、親切な人々にたくさん出会ってきた。
もちろん、不親切な人にも出会ったけど、
その割合は9対1、いや、もっとかもしれない。
少なくとも、私より親切な人がほとんどだ。
(2011年冬。イタリアのフィレンツェに向かう。一人旅はいつもワクワクとドキドキのせめぎ合い。)
特に思い出すのは、イタリアやスペイン、
ポルトガルなどで出会ったラテン系の人々のこと。
陽気で人懐っこくて親切で、ちょっとおせっかい。
でも、人の独立心を邪魔することはしない。
おしゃべり好きで、かわいらしい人たち。
それが内面に隠れているか、表面に現れているかは、
都会と田舎やその人の年齢でも左右されるように思うけど、
総じて「人間が大好き」と感じさせてくれる場所だ。
そんな人々に、最初から懐かしさを覚えた。
言葉がわからない旅人にでも、どんどん話しかけてくる。
つたない言葉で話すと、一生懸命聞いてくれる。
意思の疎通ができた時、とても大げさに喜んでくれる。
自分のことを話すとリスペクトの言葉をかけてくれる。
そんな経験が、私をどんどん旅好きにさせていったのだ。
そんな人たちが暮らす土地は、
またその光景も最初から懐かしかった。
旅要素欠乏症の症状「夢の中で旅に出る」
例の夢の中ですすめられたメロン。
日本でよく見るメロンとは違って、
ちょっと小ぶりでつるっとした、黄緑色のメロン。
夢の中の世界は白黒の場合が多いと、
昔、何かの本で読んだことがあるけど、
私の見る夢にはいつも日常生活と同じ色がついている。
あんなメロン、どこで見ったっけなぁ。
朝、起きぬけに「あれが夢だった」と自覚してから
最初に考えたことだった。
私は寝起きが悪い。
なかなか働かない寝起きの頭をフル回転して考える。
(2015年夏。イタリアのモデナ。市場の中は活気であふれている。)
(2011年冬。イタリアのフィレンツェ。用事がなくてもスーパーには立ち寄る。生活を感じられるから。)
ポルトガルのスーパーで見たのかもしれない。
私の頭の中に蘇る映像は、
目抜き通りから一本入った路地にあるスーパーだ。
リスボンに滞在する時、ほぼ毎日通ったスーパー。
そして、ふと気がついた。
旅に出られない旅人はどうなってしまうのか。
そう、行ってもない旅の夢を見てしまうのだ。
もうこれは「旅要素欠乏症」をこじらせた、
果ての姿なのかもしれない。
(またまた長くなるので続きは次回……)