旅に出られない旅人はどうなってしまうのか<その5>「旅に出られなくとも、私はずっと旅人でいよう」
前回の続きです。今日は<その5>です。
「旅に出られない旅人はどうなってしまうのか」はこれで終わりです。
(旅好きでお暇な方のみ、読んでください。ただの愚痴です。)
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目次
どこなんだ?あの場所は
そして旅人としては気になる、
私が夢の中で旅していた場所はどこなのか。
「いや、自分で勝手に夢にみただけだろ」
ということなのだが、解明したくなるところ。
通りや広場の雰囲気は、
やはりスペインかポルトガル、イタリア、フランス
あたりのようである。
(2012年夏。スペインのトレド。木陰を求めて広場へ出る。)
数段の階段を上ったところに広場があるという形は、
ヨーロッパの街を歩くとよく出くわすもの。
段ボールに無造作に商品が積まれている様子、
これはイタリアの地方都市で見た光景と近いかもしれない。
(2011年冬。イタリアのフィレンツェ。八百屋さんを見かけるだけでほっこりする。)
こちらの反応お構いなしで、
勢いよく話しかけてくるおばちゃん。
これもやはり、イタリアかスペインか。
恋しいのはスペインか、ポルトガルか、イタリアか。
確かにあの街並み、あの雰囲気、恋しくて懐かしかった。
でも、本当に恋しいのは、
あの状況そのものなのかもしれないとも思う。
わからない言葉をかけられて困っている私。
一生懸命しゃべって何かを伝えようとしている人、
一生懸命聞いて理解しようとする私。
そんな光景が、今私にとって一番恋しいのかもしれない。
旅で得られる経験そのものが恋しい
そう、私は今、恋しい。
旅する場所と旅で出会う人が、
恋しくて恋しくてしかたがないのだ。
今まで旅した場所や、今まで出会った人が恋しいだけでなく、
旅で得られる経験そのもの、すべてが恋しいのだ。
だから、こんな症状を発症しているのだろう。
行ったこともない場所を旅している夢。
「とうとう夢にまで見てしまうほど、旅が恋しいのか」と
自分で自分が心配になってしまう反面、
実は、あの夢の続きが見たくてしかたがない。
そして、あの夢の続きを想像して
ニヤニヤしてしまう自分がいる。
「私はずっと旅人でいよう」と決心する
(2014年夏。フィンランドのヘルシンキからクロアチアのドゥブロヴニクへ向かう飛行機。)
これはもうすでに、「旅要素欠乏症」の末期症状なのか。
それならそれでもう結構。
末期症状を生き抜いていこうではないか!
そして、一人で静かにこう決意するのであった。
「旅に出られなくとも、私はずっと旅人でいよう」
旅はやめても旅人はやめられないのだ。
今後も、「旅要素欠乏症」の諸症状の変化に注意しながら
この期間を旅人として過ごしていこうと決心した。
あの夢の続きを想像しながら。
(おわり)