≒(ニアリーイコール)を楽しむ言葉の世界<その8>「大好きな旅と音楽とイタリア語【第1章】」
土曜日は、言葉のお話を書いています。
今回から、「私の大好きな旅と音楽とイタリア語」を
何回かに分けて紹介していきます。
目次
イタリア語に「andare」という言葉がある
(2011年イタリアのフィレンツェ。小径ばかりのこの街では、歩いても歩いても小径の制覇には至らない。)
イタリア語に「andare」という言葉がある。
「行く、歩く」という意味の動詞だ。
生活の中でよく登場するシンプルな動詞なので、
イタリア語を学び始めた初期に登場するのだが、
活用が不規則な動詞のため、
今後の自分の学習に一抹の不安を感じる語句。
イタリア語は、主語に合わせて動詞が活用するしくみの言語だ。
そのため、動詞の活用を見れば主語が想定できるため、
主語を省略することが多い。
ちなみに、「andare」の活用とは、
主語が一人称単数の場合は「vado」
主語が二人称単数の場合は「 vai」
主語が三人称単数の場合は「 va」
主語が一人称複数の場合は「andiamo」
主語が二人称複数の場合は「andate」
主語が三人称複数の場合は「vanno」
となる。
これがイタリア語を学ぶまあまあ初期の段階でやってくるので、
とりあえず「andare」の活用は無理やり覚えるとしても、
今後の学習に対しての自信が急速になくなった覚えがある。
こんな感じの不規則動詞が山のようにあるのだ。
生きている言葉こそ魅力的
(2011年イタリアのフィレンツェ。ステイ先で借りたかわいらしい本。)
語学というのは系統づいている部分は比較的簡単だ。
ルールを覚えればいいだけだから。
でも、言葉というものは生きているので日々変化する。
そして過去にも変化し続けて結果、今ここに存在している。
当然、「例外」が日々生まれてくる。
語学の学習は、その「例外」との闘いのように思っていた。
不規則変化を繰り返し覚える日々のように。
でも今は、「例外」こそがおもしろいところだと思うようになった。
なぜ「例外」が生まれるのか、その過程を想像するのが楽しい。
例えば、英語は比較的「例外」の少ない系統だった言語だが、
それでも中学校の時、
「なんでgoの過去形はwentなんだ?覚えにくいな……」とか、
「三人称単数の時はsを付ける?なんで?」とみんな一度は思ったはず。
英語以外の言語を学ぶようになると、
いかに英語が「例外」の少ない言語かを身をもって
知ることになるわけだが、
たいていの場合、なぜ「例外」が生まれたかははっきりとわからない。
長い年月をかけて、ちょっとずつ変化していくものだから。
(ちょっと長くなるので、次回へ続きます。)
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