旅に出られない旅人はどうなってしまうのか<その7>「夢の中の旅を分析して楽しむ。トラムと共同トイレ」
今日は「旅に出られない旅人はどうなってしまうのか<その7>」
にお付き合いください。旅に出れない旅人の戯言です。
目次
夢にまで見る旅先とは
旅に出られない日々の中で、
時々、私は旅にまつわる夢を見る。
初めは、ヤバい症状が出てきたと思った。
旅に行きたい気持ちが強すぎて、
とうとう夢にまで見てしまうほどだと、
自分自身がちょっと心配になった。
しかし、もはやそんな時期は過ぎ去り、
現在の私は、夢に旅の要素が出てくることを
楽しみに待っている感すらある。
それはそれで、かなりの末期症状だということは
自覚はしているのだが、朝起きた瞬間に、
「あ、私、旅をしていた……」
と、にんまりしてしまう自分がいる。
我ながら、気持ち悪い。
今朝がた見た夢「トラムとトイレ」
今朝がたみた夢はこうだ。
夢だから非常に断片的。
私はどこかの街を走るトラムに乗っている。
どうやら、私が向かおうとしている目的地は
2つの停留所の間にあるようだ。
トラムの乗降口の扉の窓に、
顔を貼り付けるようにして、
停留所の場所を見ようとしている私。
どちらの停留所が近いかを見ようとしているのだ。
(2009年オランダ・ハーグのトラムにて。)
トラム大好きで、トラムが走る街が好き。
とうとう夢にまでトラムが出てきてしまった。
↓
そして断片的な夢の記憶は、
場面はすっかり変わって、
とても使いにくい共同トイレの前。
安宿の共同トイレのようだ。
しばらく滞在した後のようで、
よーし、今度こそ、うまく使ってやるぞと
少々意気込んでいる。
トイレの扉のすぐ横に自動販売機があり、
その前に泊り客だろうか、人が立っている。
その人に向かって、ちょっとすみませんねっと
ゼスチャーをして、勢いよくトイレのドアを開けた。
ドアを開けると狭い洗面台があるのだが、
洗面台自体が可動式になっていて、
それを動かさないとトイレの便座に座れない。
いったいどんな設計なんだと思いつつ、
今回こそはスムーズにことを運んでやると
思っているのに、早々にドアをノックされ、
ちょっとパニックになっている。
便座に座ってしまうと、洗面台が邪魔で
ドアに手が届かないからだ。
可動式の洗面台なんて……。
こんな感じ?これは夜行列車のトイレだけど。
(2016年ドイツ・ハンブルクから夜行列車でスイス・チューリッヒへ向かう旅。)
↓
夢の中の旅を分析して楽しむ
そんな光景、今までの旅であっただろうか。
そっくりそのままの光景はなかったはずだ。
今までの旅や経験がミックスになっているのだろう。
今までのどんな旅の、どんな要素が
私の夢の中の旅を作っているのか、
分析して楽しむという、
これまた、かなりの末期症状、
独りよがりの極みである。
「トラムに顔をくっつけて停留所を探す」
という行為、これは結構な確率でやっている。
トラムがいいのは、風景を見ながら移動できるところ。
しかも、トラムはレールや架線がついていて
進む行方が分かりやすく、バスよりも難易度が低い。
ありがたいことに私は方向音痴ではないので、
停留所のはっきりとした場所が分からなくとも、
トラムのお世話になることが多い。
夢の中のトラムはどこの街を走っているのだろう。
オランダのような洗練された街の雰囲気だったような、
それともイタリア・ナポリの懐かしい満員のトラム……。
(オランダ・アムステルダムを走るトラム。クラシックで素敵な旧型。)
そしてそして、トイレが共同の安宿かぁ。
実は、海外でそんなとこに泊まったことがない。
次の旅では、そんなとこもいいかもしれないな。
不便を楽しむ旅もいいじゃないか。
強いて言えば、昨年の6月に東京で泊まった、
「book and bed」が共同トイレ・洗面所だった。
本に囲まれて過ごす、本好きにはたまらない場所。
もっと居たかったなぁ。
居心地がよくて、旅の予定を変更したくらい。
まだブログ記事にできてないけど、いつか必ず……。
「旅の夢」は「夢の旅」
夢で見る旅は、自分の旅好きを思い出させる。
そして、自分が旅好きであることを
おもい知らされる。
「旅の夢」は「夢の旅」だ。
妄想たくましく、次の「夢の旅」を模索する。
来るべきその時がやってきたら、
自分が一番行きたいところへ
躊躇なく向かうために。