旅に出られない旅人はどうなってしまうのか<その32>「雪の飛騨高山を歩いた不都合で愛おしい旅」
今日は「旅に出られない旅人はどうなってしまうのか<その32>」。
岐阜県の高山を訪れた、かつての旅を思い出しています。
目次
雪の飛騨高山
もうずいぶん昔の旅だ。
2012年冬。
高山駅に着いたとき、雪が舞っていた。
何度か行ったことのある街だが、
この旅の、雪が舞う高山が印象的。
江戸時代初期に高山城を中心に栄えた
城下町の面影は、こんな天候の日の方が
よりくっきりと浮かび上がるのかもしれない。
高山駅からまっすぐ東に歩くと、宮川へ出る。
何本かの橋で対岸と結ばれているのだが、
なぜか私はこの柳橋がとても好き。
なぜだかわからないけど、必ずこの橋を渡る。
もっと昔、初めて高山を訪れたひとり旅の時、
この橋へ続く道の途中の宿をとったので、
その懐かしさもあるのかもしれない。
橋を渡ると、かつての城下町・商家町の面影が
色濃く残る、さんまち通りだ。
昔ながらの建物を利用した店が並ぶ、
風情のある通り。
この日はとても寒くて、しんしんと冷える。
雪の降りはますます強くなる。
雪は水分が多くて、足元はじゃりじゃりと滑る。
靴が濡れて、靴下にまで冷たさが伝わっている。
折り畳みの傘はサイズが小さくて、
普段よりも肩が濡れる。
不都合なことばかりだ。
旅人にとっては旅に向かない日。
でもそんな旅が今は懐かしい。
なんなら、そんな旅の方が懐かしい。
不都合な旅が懐かしい
冬のパリっとした冷たく尖がった空気を
頬に感じながら歩く旅が、もちろんいい。
例えば、2019年年末の倉敷。
天気はいいけど、とても寒かった。
冬の朝のパリっとした空気。
旅先で感じると気持ちいい。
例えば、2018年の年末を過ごした鹿児島。
冬の朝の桜島を。
宿泊していた城山ホテルより。
朝の冷たい空気を感じながら、
目を開けるのがつらくなるほどの強烈な日差し。
それに抗って眺める桜島。
でも、なぜだろう。
気持ちのいい旅の思い出よりも、
都合の悪い旅の思い出の方がより鮮明に、
懐かしく感じるのは。
愛おしい旅
2012年の飛騨高山。
雪の高山陣屋を訪れた。
こんな日に御白洲を見たら、
「どうかご勘弁を、、、」という気持ちになる。
さぞかし砂利は冷え切っていることだろう。
雪で重くなった折り畳み傘を下ろして、
ちょっと一息つく。あぁ、寒い。
しんしんと雪が降る光景をぼんやり眺める。
全国でもここだけという、江戸時代の
陣屋の建物がそのまま残る貴重な場所。
靴下の替え、持ってきてないんだよなぁ。
こんなに雪が降っているとは予想外。
宿に着いたら、靴下と靴を暖房で乾かそう。
次の旅に出る前に、もっと撥水性の高い
折り畳み傘を買おうかな。
いや、防水スプレーをもっと入念に
振りかけてくればよかったのだ。
歴史的な建物でこんなことを考えていた。
ふと連れの友人が、温かい飲み物でも
飲みに行こうかと誘う。
そうだ、そうしよう。
「旅」としては不都合なことが多い旅ほど、
愛おしいのかもしれない。
そしてこの旅は、この後、
カメラの調子も悪くなり、
旅の後半の写真のデータがとんでしまった。
あぁ、ますます愛おしい、
愛おしい、旅よ。