旅に出られない旅人はどうなってしまうのか<その43>「いい旅をしたい!と思う、今」
今日は「旅に出られない旅人はどうなってしまうのか<その43>」。
いい旅をしたい!と思った話です。
目次
思い出す旅の一つは
私がイタリアのヴェネツィアを訪れたのは、
もうずいぶん昔、2004年のこと。
それが、私にとって最初のイタリア旅だった。
きっとだれもが行ってみたい場所にあげるだろう。
ヴェネツィアは、特にイタリアが好きという
わけではない人も、旅が好きというわけではない人も、
機会があれば一度は訪れてみたい場所だと思う。
17年前の私は、行ってみたくてしかたがない街を選んだ。
こんな風景、一度は自分の目で見てみたい。
大運河にゴンドラが行き交うこんな光景。
ヴェネツィアの街は、街全体がテーマパークみたいだ。
車の乗り入れが禁じられているから、
余計にそう思うのかもしれない。
街の中を早く移動するにはバポレット。
水上バスに乗る。
陸上のバスと同じく停留所でバスを待つ。
運河にぷかぷかと浮かぶ停留所だ。
旅の相方と休みを合わせてみたら、
ちょうど一週間。
私の夏の旅にしては短い。
あこがれた街では
憧れのヴェネツィア。
浮かれ気分のヴェネツィア。
まだプランもテーマもなく、旅をしていた。
サンマルコ広場の塔から宮殿ごしに見える
ヴェネツィアの端っこ。
キラキラ光る海にいくつものボートが揺られる風景。
毎日、目に飛びこんでくる風景は、
写真で見たそのものだった。
覗き込む運河は、絵本のよう、映画のよう。
迷子のヴェネツィア
ヴェネツィアに滞在した数日間、
私はずっと迷子の気分だった。
本当の意味での迷子(道を見失う)でもあり、
どこか心が迷子になっているような。
それは憧れの街を歩く興奮かもしれないし、
初めての街での戸惑いかもしれないけど、
ヴェネツィアはきっとそんな街、
それも魅力の街なのだと思う。
入りくんだ路地、まっすぐな道はなく、
方向感覚が狂わされる。
そんなヴェネツィアを体験したことは
旅のいい思い出。
想いを馳せると、あの街の喧騒がよみがえる。
でも、1つ心残りがあるとするならば、
それは、「暮らすように旅する」ことはできなかったこと。
毎日ふわふわと歩き、きょろきょろと立ち止まり、
またふわふわと歩いた一週間だったのだ。
いい旅をしたい!と思う、今
いい旅をしたい!と思う、今。
自由な旅ができなくなってから、
あれこれと旅に想いをはせる機会が増えた。
20代だった私には、ちょっと大人すぎたのか
とも思う、ヴェネツィアの街。
今の私なら、、、と想像してみる。
あの喧騒、あの運河、あの広場、あのジェラート、
あのゴンドラ、あのカフェ、、。
今の私ならどう感じるのだろう。
今の私にとっての「いい旅」をしたい。
次の旅も、これからも。