≒(ニアリーイコール)を楽しむ言葉の世界<その1>「「Good morning」は「おはよう」なのか?」
今日は旅の復習をお休みして、
言葉のお話を書いてみます。
旅には欠かせない言葉の思い出とともに。
目次
私は「言葉」が好きだ
(スペインのサンセバスティアンのバルにて 2019年夏撮影。)
私は「言葉」が好きだ。
そんなことをわざわざ書いたら、変な人ってことになるだろうけど、
言葉の成り立ちや、言葉の端々から伝わることがとても気になる。
他の人よりも、自分が「言葉」そのものに興味を持っていると
気づいたのは、ずいぶん大人になってからだった。
若い時、英語を勉強するためにカナダに短期留学をしたことがある。
滞在中に、多少は英語を話せるようになった。
でも、日本に帰ってきてから思ったのは、
その時英語で感じたことを、どうやっても
日本語では表現しきれないということだった。
日本語と英語は違う言語なんだから、
どんな単語も「=(イコール)」で結ばれることはない。
どんなに頑張っても「≒(ニアリーイコール)」にしかならないのだ。
あたり前といえばあたり前のことだが、
若い頃の私には気づかないことだった。
この私の「気づき」について、
何人かの知人には話したことがあるが、
誰にもしっくりこないようだった。
まあ、そこは私の説明に問題があるのかもしれないが。
気づけは、私の本棚には言葉に関する本が増えていった。
とにかく、私は人が気にしないようなことが気になるのだ。
私が気になることは、大多数の人には気にならないことなのだ。
ということに気がつくまで、ずいぶんの年月を要した。
「Good morning」は「おはよう」なのか?
(アメリカ シアトルの早朝 2018年夏)
「Good morning」は果たして「おはよう」なのだろうか?
「Good morning」は、直訳すれば「良い朝」ということになる。
これは欧米の言葉にはよく見られる、
「良い朝をお過ごしください」という意からきているのだろう。
つまりは、「Have a good morning」の省略形。
フランス語の「Bonjour」も、イタリア語の「Buon giorno」も、
「朝」と「日」の違いはあるものの、言葉の成り立ちは同じだ。
(この「朝」と「日」の違いについてもぜひ今度書きたい。)
日本語の「おはよう」は、これとはまったく成り立ちが違う。
「おはよう」は「お早う」であり、
「お早いですね」という相手に対する投げかけだ。
「朝が早いことは良い」というニュアンスを含んでいる。
または、「朝が早くて精が出ますね」というようなニュアンスも。
さて、「Good morning」は果たして「おはよう」なのだろうか?
朝のあいさつとしてはもちろん正しいが、意味としては、
「Good morning」≒「おはよう」
やっぱりどうしても、「≒(ニアリーイコール)」なのだ。
≒(ニアリーイコール)を楽しむ言葉の世界
(バンクーバーへ向かう飛行機から 2018年夏)
この世の言葉は、すべて「≒(ニアリーイコール)」にしかならない。
私はそう思っている。
100%の「=(イコール)」で結ばれる言葉は存在しない。
それは、違う言語同士はもちろんのこと、同じ言語でも。
でも、だからこそ言葉はおもしろい。
成り立ちはまったく違うのに、
現在は似た言葉として使われているもの、
同じ意味として翻訳されているもの、
似たニュアンスを与えるものがあったり、
その逆があったり。
言語を育む歴史や風土、文化の中で移ろっていくのがおもしろい。
この「≒(ニアリーイコール)」の言葉の世界を
存分に楽しみたいと思う。
また、気が向いたらこの続きを書いてみる。
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