≒(ニアリーイコール)を楽しむ言葉の世界<その9>「大好きな旅と音楽とイタリア語【第2章】」
土曜日は、言葉のお話を書いています。
先週土曜日の記事の続き、
「私の大好きな旅と音楽とイタリア語<その2>」です。
<その1>はこちら
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目次
「不安<興味」のホームステイ
さて、語学の学習の話やら学習への不安の話はさておき、
「andare」という言葉に、旅の思い出が詰まっているという話。
それは、イタリアのフィレンツェで
初めてホームステイをした時のことだ。
(フィレンツェの美しさにとりつかれた日々。)
もうすでに勤め人だったので、約2週間の短いステイだったが、
この時に出会ったホストマザーは、私に大きな影響を与えてくれた人だ。
当時の私はほとんどイタリア語を話せなかった。
(今でもたいして話せないが、もっとひどかった。)
それまでに2度イタリアを旅行で訪れてはいたものの、
せいぜい話せたのは、決まりきった「あいさつ」や、
あとは我流で丸暗記してきた名詞の単語。
さらにその昔、イタリアンレストランでアルバイトした経験があって、
メニュー表にのっているような食材なんかは多少の知識があった。
しかしまあ、そんな状態でよくホームステイに行ったものだと思うが、
「不安<興味」の状態だったので、行けてしまうのが恐ろしい。
というか、今ならそれが、その勇気と無謀さが
若干うらやましくもあったりする。
素敵なホストマザー
(2011年イタリアのフィレンツェ。小さな空港に似合わないほどの人が行き交う。)
フィレンツェの小さい空港に
夜遅く車で迎えに来てくれたホストマザーは、
背の高くておだやかそうな人だった。
薄暗い空港の出入り口で手をこまねきしてくれていた光景を
今でも思い出すことができる。
家に到着するまでの20分程度の車中で、すでに彼女は
私のイタリア語がかなりヤバいと察知したのか、
ゆっくり話してくれたり、単語に分けて話してくれたり、
動詞なら活用の前にまず原形を言ってくれたりと、
こちらがお願いしたいことを全部先にやってくれるような
私にとって素晴らしいイタリア語の先生だった。
実は、彼女は高校で芸術や文化を教える教師を
長年やっていた人だったのだ。
私が出会ったころはもう教師の仕事は引退し、
フィレンツェの街のボランティアガイドをしていたが、
まさに「教える」のが上手く、私が毎日苦戦するイタリア語の文法を
手をかえ品をかえては、さまざまな手法で教えてくれた。
分からないと、ついつい英語が出てしまった当時の私。
ホストマザーは英語を話す人ではなかったが、
英語の知識はしっかりもっている人だったので、
私が話す英語でわからない語句が出てくると
自分の英伊辞典を何度もひいて、理解しようとしてくれた。
2週間の滞在で、私のイタリア語の能力向上よりも
彼女の英語の能力向上の方が高かったのではないかと思うほどだ。
実際、ステイの後半になると彼女は、
「いけない、英語を使わないようにしなくちゃ、
イタリア語の勉強にならないね」と言うくらい、
英語が話せるようになってしまっていたのだ。
(私がそうさせてしまっていたのだけど。)
そんな素晴らしいホストマザーとの出会いが、
その後の私のイタリア語学習に大いに影響を
与えたのはもちろんのこと、
私を大いにイタリア好きにしてくれた。
彼女は文化や芸術に造詣が深かったので、
フィレンツェの有名な名所はもちろんのこと、
地元の小さな教会から建物の成り立ちに至るまで、
とにかく詳しい。
(美しいフィレンツェの街。何度行ってもうっとりしてしまう。)
散歩の途中や、買い物に行く時など、ありとあらゆる場面で
フィレンツェの魅力、イタリアの魅力を教えてくれたのだ。
(さらに長くなるので、次回へ続きます。)
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