旅に出られない旅人はどうなってしまうのか<その1>「旅要素欠乏症のこのごろ」
目次
旅に出られない旅人はどうなってしまうのか
「旅に出られない旅人はどうなってしまうのか」
ということについて、自分なりの考察をしてみた。
と、仰々しく書き始めてみたが、
なんのことはない、旅に出られなくてとってもつらいという、
単純明解で哀しくて切なくて、ちょっと子どもじみた話だ。
(旅好きでお暇な方のみ、おつき合いください。)
(2016年スイスのチューリッヒ。線路を眺めるのが好きなのは、旅の象徴のような気がするかもしれない。)
冷静に頭で考えてみる
コロナのことで制限されることが次第に増してきたことや、
コロナについて知らなかった側面が徐々にではあるが解明されていく
ニュースを見るにつれ、わかってしまうことがある。
それは、この状態はしばらく続きそうだということ。
勤め人の私も自宅でのテレワークが増え、働き方が変わった。
いつもより時間的には余裕がある。
あくまで「時間的に」だけだけど。
頭の中の優先順位は、非常に正しく並べることができる冷静な状態だ。
何が大事って、あたり前だけど一番大事なのは「生命」。
そして、地球という星がかつて抱えたことのない現在の人口で、
いかに混乱をきたさないように私たちが立ちふるまえるか、
ということ。
だれかに何かを試されている気がするこの状況。
そうすると、これもまたあたり前のことなのだが、
だんだんと優先順位ランキングの中で、
「旅」のランキングは下へ下へと追いやられ、
あっという間に圏外へと消え失せてしまうことになる。
もちろん、当然のことだ。
(2011年夏。チェコのプラハの夜。駆け抜けるトラムの疾走感。)
私もいい大人なので、そんなことは合点がいっている。
旅要素欠乏症のこのごろ
哀しくて切なくて、子どもじみた話だ。
ゴールデンウィークがやってきたからなのか。
毎年、ゴールデンウィークに旅で出ているわけではないのだが。
寒かった4月が終わろうとしている。
開け放った窓から、今日は爽やかな風が家の中に入ってくる。
どうやらこんな今年にも、5月がやってくるらしい。
今、私が抱えている症例は完全なる「旅要素欠乏症」だ。
「旅欠乏症」ではなく、「旅要素欠乏症」。
毎年の今ごろ、私が熱心に取り組んでいるのは、
夏の旅の計画を立てること。
そう、私の旅はだいたい7月か8月の夏休み。
1年間でもっとも休みがとりやすく、
比較的長く海外旅行を楽しめるのがその時期だけだからだ。
もちろん世間も夏休みなので、どこも混み合うことが多いし、
いかにうまく旅の計画を立てるかが非常に大切になってくる。
行きあたりばったりの旅ではうまくいかないのだ。
(2019年夏。フランスのサンテミリオン。交通手段に悩んだ1年前が懐かしい。)
どこをどのようにまわるか、
航空券は?ホテルは?移動手段は?予算は?
そんな計画を真剣に立てているのが今の時期なのである。
長くなるので、続きはまた次回……