旅に出られない旅人はどうなってしまうのか<その17>「私はただの旅人。悩める旅人が考える旅の定義とは?」
今日は「旅に出られない旅人はどうなってしまうのか<その17>」。
おうちで旅人。まだまだ、本日も、、、。
もう旅に行っていいのかな?まだかな?
を繰り返す日々です。
目次
「感染対策をしっかりして」って何?
「感染対策をしっかりして」という
枕詞を毎日のように聞いていると、
なんだかそれさえ付けておけば、
もうすべて上手くいくのではないか
という楽観的な(なげやりな)気分になり、
判断基準が揺らいでくる気がする。
どうするべきか、例えば
旅に行くべきか、行かざるべきかなど、
自分で判断なければならない状況に
疲れてきているのかもしれない。
だって、本当は行きたいんだもん。
もう旅に行っていいのかな?
もう旅に行っていいのだろうか?
もし、もう旅に行ってよいのなら、
今、行く旅先はどこだろう?
それは、どんな旅だろう?
何度も思いをめぐらせてみた。
でも、なかなかピンとくる旅先が
見つからないというのがホントのところ。
行きたいところは山のようにある。
でも、今、行くべきところがないのだ。
旅を100%楽しめるようにするためには、
自分が納得のいく旅でなければならない。
人が密集しなくて、換気ができて、
あまり遠くなくて、、、、
と、旅の条件をあげつらうと
「これは本当に今行くべき旅なのか?」
という疑問がわいてくる。
私は海外旅行が好きで、
毎年のように出かけているけど、
それでも行かなかった年がある。
私はヨーロッパが大好きだけど、
ヨーロッパへ行かなかった年もある。
(ヨーロッパの社会情勢に不安定な要素を感じた年、旅の行き先はオーストラリアに。)
その時々の世界情勢や治安やさまざまな要素から、
旅先と旅のプランを練っているからだ。
当然、行くのに不安を感じる旅先は選ばないし、
行ったことを後悔しない旅先を選ぶようにする。
私はただの旅人
私は「旅人」であって「冒険家」ではないので、
危険を冒して危険地帯に出かけることはないし、
家族に心配をかけてまで、出かけたいとも思わない。
私にとって旅は欠かせないものだけど、
旅なら何でもいいというわけではない。
むしろ、日ごろ旅をあまりしない人よりも
こだわりが強く、ストイックに
正しい旅の在り方や理想を持っている気がする。
(行きたいと思ってから何年か越しに訪れたイタリア・ボローニャ。2015年撮影。)
(イタリアは何度も行ってるけど、ラヴェンナはなかなか行けなかった。2015年撮影。)
つまり私は、今の現在の世間の状況は、
旅を楽めるような状況ではないと
どこかで判断しているのだろう。
だから、旅に気乗りがしないのだ。
欲望を満たすためだけに旅に出る
旅に出られなくなった旅人が、
「旅」というものと向き合って過ごしている、今。
それはそれで有意義な時間じゃないかと
考えるようになった。
経済をまわすために旅に出る?
飲食店や観光業を助けるために旅に出る?
いやいや、なんてナンセンス!
私は私の欲望を満たすためだけに旅に出る。
私の旅はそういうもの。
旅は何かの道具でも手段でもなく、
それ自体が目的だ。
(満たされた気持ちと、さみしい気持ちが入り乱れる、旅の帰り道。2015年撮影。)
さて、今一度、旅と向き合って、
次の旅のプランでも練り直そうか。