≒(ニアリーイコール)を楽しむ言葉の世界<その19>「英語と私の関係。英語と旅が私に教えてくれたこと。」
「≒(ニアリーイコール)を楽しむ言葉の世界」
と題して、久しぶりに言葉のお話を書きます。
旅の中でであった言葉を、
大切に、思い出とともに振り返ります。
目次
英語が公用語ではない国を旅して
旅に出られない、旅に出るのは決心がいる現在のこの状況。
行くべきか、行かざるべきかの葛藤の中にいる。
こんな感じで。
↓
でもそろそろ冷静さを取り戻して、
言葉の話を書いてみようという気になった。
普段の私は、ほぼ毎年のように
ヨーロッパを訪れている。
特に好きなのは南ヨーロッパで、
訪れた回数の多さで並べてみると、
イタリア、フランス、ポルトガル、スペインと、
すべてラテン系の国ばかり。
2019年夏のパリ。到着した夜、近所のスーパーモノプリで買ったサンドイッチ。
日本語からはフランス語にはすぐに訳せないけど、
「POULET」が鶏肉だということは知っているし、
「pain de mie」が食パンだと知っている。経験上。
英語が公用語ではない国ばかりだ。
でも旅では、英語に助けられることも多い。
英語が世界の扉を開いてくれると
実感できることが何度かもあった。
「外国語といえば英語だ」からの始まり
私とにとって英語とは、
「外国語といえば英語だ」という
固定概念から始まり、
旅するうちに、
→「英語だけが外国語ではない」
→「英語が話せるだけでは意味がない」
→「多言語の習得をしてみよう」
→「英語ってシンプルな言語だったんだ」
→「やっぱり英語は世界の共通語だ」
→「英語って便利」
という具合に、英語というものに対する
とらえ方が自分の中で変化していった。
そして、旅の中での英語はよりシンプルになり、
特に英語圏ではない地域を旅する場合は、
英語を母国語としない人々が扱う英語と
最初からわきまえて、私も相手も英語を
扱うということが前提になっているように思う。
例えば、あえて長いセンテンスにはしないこと。
できるだけ単語で話すこと。
そして繰り返すこと。
短い文章にすること。
英語を学び始めたころは、
文法的にも発音的にも正しい英語を
話したくてしかたがなかった。
(当然のことだけど。)
でも今は、そんなことはどうでもよい。
相手に自分の言ってることが正しく伝わればよい。
(これも当然のことだけど。)
英語と旅が教えてくれたこと
言語はコミュニケーションのツールだと、
昔から頭では知っていたけど、
実際にそれを感じることができたのは、
旅の中でさまざまなコミュニケーションを
とる必要性があったり、コミュニケーションを
とりたい自らの欲望を満たす状況に
身を置いた時だった。
2019年夏のパリ。オルセー美術館のレストランでランチ。
メニューはフランス語で読むけど、注文は英語でしちゃう。
何語だっていいのだ。
この気持ち、この感情、聞きたいこと、
知りたいことが言えて聞けたらそれでよい。
というかむしろ、それ以上に何がある?
2012年スペインのグラナダ。
体調を崩していた私にホテルのスタッフが、
「~mal?」とスペイン語で話しかけてくる。
きっと体調を気遣ってくれているんだ。
スペイン語の「mal」は知らなかったけど、
イタリア語で「mal」は「痛み」のこと。
何語だって、心遣いはうれしい。
「I’m ok , gracias.」と返した。ニコッと微笑み合う。
きれいに話したい、上手に話したいという
モチベーションももちろん大事だけど、
それから解き放たれたとき、
旅がぐっと自由になった気がした。
そして私は、旅人になった、のかもしれないな。