ヨーロッパ旅「たかがコーヒー、されどコーヒー」
目次
- たかがコーヒー、されどコーヒー
- パリでの衝撃!朝から目が覚めた!
- 旅して思う、コーヒーも千差万別
- イタリアのちょっと過ぎるこだわり
- ポルトガルの素朴さも癖になる
- オーストラリアで新たな発見!
- コーヒーを飲めばわかる!その土地の魅力
たかがコーヒー、されどコーヒー
こどものころからコーヒーが好きだった。
小さい頃はもちろんあまり飲ませてもらえなかったけど。
たまに食べるコーヒーゼリーも、
苦いものが好みだった。
気づいたころにはコーヒー大好き。
学生時代から一人暮らしの小さいキッチンで
ドリップコーヒーを淹れていた。
そんな私が学生時代に旅したフランスで
出会ったのが、本場のカフェオレだった。
パリでの衝撃!朝から目が覚めた!
(2013年フランスのパリ。モンパルナスタワーでの朝食は格別だ。)
今から二十数年前。初めてのパリ。
ホテルの朝食で飲んだカフェオレ。
その衝撃は今でも忘れられない。
それぞれ銀のポットに入れられたコーヒーとミルクが、
テーブルに運ばれてくる。
それぞれがそれぞれにちょうどいい温度。
大ぶりのカフェオレボウルの中で、
コーヒーとミルクが絶妙に混ざり合う。
こんなコーヒーがあったなんて!
という衝撃だった。
旅して思う、コーヒーも千差万別
南ヨーロッパの国々では、
エスプレッソマシーンで淹れた濃いコーヒーが基本だ。
日本のドリップコーヒーにミルクを入れると、
味がぼんやりと薄くなってしまうが、
フランスのカフェオレやイタリアのカフェラテは
エスプレッソを使っているからこそ成立する。
イタリアのボローニャで。
食後のドルチェとコーヒーが欠かせない。
(2015年夏のボローニャ。お気に入りのレストランで最後にいただく。)
南ヨーロッパで日本のようなコーヒーを
飲もうと思ったら、アメリカンを飲むしかない。
でもこれではエスプレッソが台無しだと思う。
あ~もったいない!と思ってしまう。
イタリアのちょっと過ぎるこだわり
南ヨーロッパの国の中でも
イタリア人のコーヒーへのこだわりは格別だと思う。
イタリアでコーヒーと言えばエスプレッソのことだが、
その飲み方は本当に様々だ。
まず、イタリア人には行きつけのバールが必ずある。
とイタリア人が言っていた。
バールとは、コーヒーやお酒、軽食などを提供する
カフェとバーを兼ね備えたような店で、
切手やタバコ、バスの回数券や宝くじなども売っている。
日本の昔のタバコ屋さんのような、
コンビニの要素もあるイタリア人の憩いの場だ。
素人(?)の私などは、バールに入っても
「コーヒーをください」というのが精一杯だが、
イタリア人はコーヒーを注文するのに
どんだけしゃべるのかと思うほど注文が多い。
ミルクを何滴たらすとか、ガラスのコップに入れるとか、
ちょっと冷ますとか、実にわがまま。
イタリアのヴェネツィアで。
コーヒーも海の香りがするような。
でも本当においしい。
このおいしさが守られているのも、
イタリア人の過ぎるこだわりのおかげだから、
ありがたいなと思いながらいただく。
ポルトガルの素朴さも癖になる
洗練されたフランスのコーヒー、
頑固者の職人が淹れるイタリアのコーヒー、
それと比べると素朴な感じのするポルトガルのコーヒー。
これが癖になる。
コーヒー豆の味がそのままズバリ!
という感じのポルトガルのコーヒー。
その素朴さは、ポルトガルという国の魅力、
ポルトガルの人たちの魅力と通ずるものがある。
オーストラリアで新たな発見!
オーストラリアは元イギリス領なので、
コーヒー文化ではないのかと思いきや、
コーヒー大国だった。
(2017年シドニーでの朝食。フラットホワイトがやめられない。)
酪農がさかんな国らしく、
ミルクの深い味わいが魅力のフラットホワイト。
私はシドニーに滞在している間、
毎日かかさずフラットホワイトを飲んでいた。
コーヒーを飲めばわかる!その土地の魅力
食べ物も飲み物もその土地の文化そのものだ。
ヨーロッパ文化が息づく場所では、
昔から伝統的にコーヒーが飲まれてきた。
元々は大航海時代や植民地支配といった
歴史的背景がそれをつくってきた。
ヨーロッパでコーヒー豆は生産できない。
産地はさまざまなのに、
どうして飲まれるコーヒーにこんなにも
土地土地の味わいがにじみ出るのだろう。
それはコーヒーがその土地の人々にとって
あまりにも身近なものだからかなと私は思う。
旅に出たら、現地の人の真似をして
現地のコーヒーを味わう。
そうすると、その土地の人のことが
急に理解できるような錯覚に陥る。
そして、私の旅の経験では、
それが錯覚でないこともしばしばなのだ。